講師

主宰講師

萩原 敬子 [Keiko Hagiwara]

ハワイ オアフ島在住、Kumu Hula Theresa Kauhionamauna Ramento Tehiva(故Kumu Hula Denise KauhionamaunaKia Ramento)に師事し、自身も現在Kumuの主宰するHālau Hula O Kauhionamaunaに所属しコンペティション、各舞台などに挑戦中

Kalākaua Festival 2016 in Hale Koa Hotel

  • Solist Kahiko Makuahine 1st Place
  • Solist Auana Wahine 1st Place
  • Gruop Auana Makuahine 1st Place
  • Overall

クムの教えの元、古典フラ(カヒコ)、現代フラ(アウアナ)、オリや楽器、ハワイ語などフラに関する知識を幅広く皆さんにシェアしています。

ずっと昔、ハワイでは言葉を必要としていませんでした。言葉の代わりにフラで「神に捧げる踊り」時には「美しい花や星、大きな海になり」体全部を使って感情・意味を込めて表現しました。
異文化であるフラ。異文化を教えることの重大さ。ハワイの方達が大切に守って受け継がれてきたものを、私が簡単に違うものにしたり変えることはできない。学べば学んでいくほど奥深いハワイの文化、クムからシェアしていただきそれを狂いなく生徒さんにシェアしていき、生徒さんも真剣にハワイの文化として大切に自分の一部にしていく。クムの大切な振り、受け継がれて来られたフラを日本人である私たちに受け継がせていただけることに感謝を忘れず立ち止まることなく学び続けています。

故Kumu Hula Denise Kauhionamauna Kia Ramento

Kumu Hula Theresa Kauhionamauna Ramento Tehiva

テレサ・カウヒオナーマウナ・ラメント・テヒバは、ジミー・ラメントとクムフラ、デニース・カウヒオナーマウナ・キア・ラメントの子供としてハワイ州ホノルルで生まれ、5人の兄弟と共に伝統的なフラとポリネシアンエンターテインメントの環境の中で育つ。

テレサの母、デニース・カウヒオナーマウナ・キア・ラメントはイリマ・フラスタジオでルカ、そしてルイーズ・カレイキの指導を受けた。デニースは7歳でフラを始め19歳でウニキ、そして1971年オアフ島ワイパフでフラを教え始めた。

テレサは母の指導の下、子供の頃からフラの勉強をスタートしたが、同時にタップダンスやバレエなど様々なダンスを習っていた。幼い頃よりコンテストへの参加を勧められ、いくつものタイトルを手に入れたが、テレサにとってフラが最も大切なものであることに変わりはなかった。

テレサは母親のハラウでオラパ、そしてホオパアとしてトレーニングを受け、多くのコンペティションやフェスティバルに参加してきた。

フラの伝統として、テレサはマヌイキ・ロノ、カナニ・ブライター、ジョン・カイミカウア、そしてレイラニ・メンデスなどのクムフラからも指導を受けた。また、母からタヒチアンダンスも学び、タヒチアンダンスのエキスパートであるロイティ・テマナハ・シルバの元でさらなる知識とスキルを習得した。

10代になる頃にはティハティ・プロダクションでポリネシアンエンターテイナーとして活躍。そして1996年には、東京ディズニーランドのポリネシアンテラスにてダンサーとしてのキャリアを積んだ。その後、タヒチ出身のネフィ・テヒバと結婚し、パペーテ(タヒチ)へ移住する。母のサポートを受けながら、ハーラウ・フラ・オ・カウヒオナーマウナ・タヒチを創設。タヒチに住んでいる間に、レオ・マオヒ(タヒチ語)やフランス語も習得した。タヒチアンダンスのラアティラ(ダンスインストラクター)であるマカウ・フォスター(タマリキ・ポレラニ)、ケハウ・チャンクイ(ヒティレバ)、そして伝説のダンスマスターであるココ・ホタホタ(タマエヴァ)からも指導を受けた。

タヒチに8年住んだ後ハワイに戻り、母であるデニース・カウヒオナーマウナ・キア・ラメントの元、ハーラウ・フラ・オ・カウヒオナーマウナのアラカイとなった。ディズニーのアウラニ・リゾートのスターリット・フイ・ショーのリードパフォーマー、そしてオーランドにあるウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート及び東京ディズニーランドにおけるポリネシアンショーのオーディション担当者としてディズニーとの仕事を再開した。

現在はオアフ島ワイパフと海外でフラを教えながら、毎週アラモアナ・センターのセンターステージに立っている。ハーラウ・フラ・オ・カウヒオナーマウナのクムとして、愛する母親からファミリーに息づくフラの伝統を受け継いだ。